2018-03-09

まちの歴史から見る、大垣まつりの魅力。/浅野凖一郎氏インタビュー①

今年も大垣まつりが近づいてきました。2018年の開催日は5月12日(土)、13日(日)です。

大垣まつり軕行事は平成27年に国の重要無形文化財に指定され、翌28年にはユネスコ無形文化遺産に登録。これまで一地方の祭りとして目立たない存在でしたが一躍世界の祭りになりました。

大垣は水の都といわれ、美しい川が流れ、いたる所にぼこぼこと水が湧いています。初夏の青葉若葉の中、華麗な軕が練る様子を思い浮かべるだけでわくわくします。

今回お話を伺ったのは、大垣で生まれ、大垣に育ち、相生軕の再建の際には再建委員長として尽力された浅野さん。

近年は著書『語り次ぎたい郷土の遺産大垣まつり』を出版され、いわば大垣まつりのスペシャリストです。

2回にわたってお届けする浅野さんのインタビュー記事。前半は「大垣まつりの歴史と見所」についてお話を伺いました。


ーそもそも、大垣まつりは大垣八幡神社の例大祭と位置づけられていますが、大垣八幡神社の由緒を教えてください。

もともと大垣は奈良時代から戦国時代までの約700年間は、東大寺領大井荘という荘園でした。752年に東大寺の大仏様が完成して、756年に聖武天皇が崩御されました。天皇の遺言によって現在の大垣が東大寺の荘園として勅施入(寄進)されたと、正倉院から出て来た記録に残っています。当時は「大井荘(おおいのしょう)」といって、ちょうど現在の大垣より南の、東西約2km、南北約1.35kmの長方形で、大垣の中心市街地がそのまま当てはまります。1071年には林や三塚・貝曽根・江崎などが加わって拡大され東西2.5km南北2.5mの正方形に近い形となりました。

※勅施入・・・天皇が寺社に財物を献上すること。

東大寺は大仏様をつくるときに宇佐八幡宮(大分県)の絶大な助力を受けたため、八幡宮を東大寺の鎮守の神として境内の手向山(たむけやま)にお祀りました。それを、1334年に大井荘藤江村の藤江新八が藤江村の皂莢(さいかち)の森に迎え入れ、その後1451年に大井荘18カ村の総鎮守として現在の西外側町に遷宮しました。それ以後今に至るまで旧18カ村の総鎮守として信仰されています。

 

ー大井荘が東大寺の荘園であったということですが、荘園とはどういうものですか?

ちょっと難しい話になりますが、荘園とは奈良時代から戦国時代にかけてあった中央貴族や寺社が支配する土地のことをいいます。私有地を荘園にするには、朝廷の許可が必要です。荘園になると、国税の免除や警察権の拒否などの権利が得られます。その代わりに、領主に年貢を納めます。大井荘は東大寺の最も重要な法要の華厳会(けごんえ)、法華会(ほっけえ)などの費用として美濃絹や麻布を年貢として納めていました。

 

ー大垣まつりに軕が登場したのはいつのことだったのでしょうか?

歴史を遡ると、大垣まつりに初めて軕が登場したのは、町奉行の息子梶川英盛が1669年に記した八幡宮縁起書に、1648年「戸田氏鉄(うじかね)公が八幡宮の拝殿や神殿を再建したことを喜んで、十八郷の村民が三社の神輿を寄進し、城下の町民は車渡り物をつくり繰り出した。」とあります。

 

ー車渡り物とはどのようなものだったのでしょうか?

「車渡り物」は現在のような豪華なものではなく、急ごしらえの人形や飾り物を大八車に乗せた出し物だったと伝えられています。例えば、車渡り物の一つの石曳山(いしびきやま)は大垣城の拡張工事のとき、石垣の石を運んだ石曳車をそのまま曳いたようです。そのほか、船町に川湊ができて船運が盛んとなりこれを岩手小船山、美濃地が開通して朝鮮通信使や大名行列で賑わい、これを「車渡り物」として朝鮮行列ができました。その後1679年に大垣の軕は再編成されて、漆が塗られ、金具や彫刻が施され、操り人形軕、飾り軕、からくり軕、踊り軕など掛芸が多彩となって、今の豪華な軕となったのです。

 

ー現在の大垣まつりはいつ頃から準備が始まりますか?

本町ではだいたい祭りの3週間前になると全体会議と、軕を持つ町内ごとで日程調整が始まります。2週間前からはお囃子や踊りの稽古も始まって、小学校低学年の小さな子どもから年配の方まで神社の社務所などにに集まります。稽古には「稽古始め・中稽古・稽古納め」という区切りがあって、その度に持ち寄った料理やお酒で宴会をします。

 

(撮影:中村哲也

ーお囃子の稽古の様子を教えてください。

はい、祭り当日はもちろん楽しいのですが、「お囃子の稽古」も楽しいものです。最前列には太鼓の下級生、そのうしろに笛の上級生、最後列は笛を吹く付き添いのお母さんが方など、狭い社務所いっぱいに集まって稽古をします。子どもの中に入り「ドテドンドンテコテ」と、手を取って教えるお父さん、おじいさん。最後に「コノウラ舟ニ帆ヲアゲテ」と高砂を歌って終わります。楽しそうですが真剣です。2週間の稽古に参加すれば150人ほどの人と仲良くなれます。今まであいさつを交わさなかった人とも必然的にあいさつするようになります。稽古はまちづくりには軕は欠かせない道具なのです。

 

ー自分たちの軕という意識で関わると愛着もでてきそうですね。

そうですね。太鼓を格好良く叩いたり、笛を格好良く吹いたりすることを生き甲斐にしている人もいれば、20年以上も手古(軕を曳く人)を務めているベテランもいます。昼食や夕食、夜食の準備をする賄い係、夜宮の準備や軕の管理をする裏方さん、大変な仕事ですがみんな祭りが好きでやっているんですよ。中には名古屋から、毎年稽古から軕下ろしまで参加してくれるグループもいますよ。

 

ー浅野さんとしての当日の見所を教えてください。

まずは神楽軕ですね。この軕の「湯立て神事」は370年の歴史があり、今では貴重な遺産です。

恵比須さんは化粧をすると火を吹き、大黒さんは水を吹くと伝承されています。大火や洪水、干ばつが多かった大垣ならではの伝承です。今の恵比須さんは美しい顔ですが20年前はあばた面でした。

本軕では、相生軕の神主友成の帆掛け舟への早変わり、菅原軕の文字書きからくり、鯰軕の鯰押さえ、踊り軕の子どもの日本舞踊などは特に人気の出し物です。軕の見所は軕それぞれにあります。軕の掛芸や装飾の見所は大垣まつり実行委員会が発行している「大垣まつり」のパンフレット(無料)をご覧ください。パンフレットは八幡神社南の警察本部、奥野細道記念館内の観光協会、本町貴船神社北の休憩所に置かれています。

祭りの行事としては、掛芸は試楽日の市役所でも行われます。本学に13輛の軕が市内十カ町を練る巡行は豪華で圧巻です。また、試楽、本楽の夜宮は提灯を一斉に灯した軕が水門川の岸辺を回り、神前で軕回しをした後、帰り軕の曲を囃子ながら曳き別れる様子は幻想的で、もの哀しさがあります。夜宮の後、八幡神社の拝殿で恵比須さんの「お頭渡しの儀」が行われます。「確かに、お渡し申し候」「確かにお受け取り申し候」などの掛け合いや謡があり神秘的で人気があります。

水門川がキラキラと流れ、青葉若葉が風にきらめく初夏の大垣、そんなまちの祭りをぜひ楽しんでください。

 

ー浅野さん、ありがとうございました! 後半では「軕」についてより詳しく教えていただければと思います。

(後半につづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

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